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君のためなら千回でも

アメリカで制作された映画ですが、メインとなる舞台はアフガン。

主人公は、物語を作る才能はあるが、現実の脅威と真正面から勇気を持って戦えない、逃げてばかりの卑怯で臆病なアニール。
その主人公の友達は、召使という低い立場でありながら、人間としての器が大きく誠実で優しいハッサン。


2人で協力して栄誉を得た日に、ハッサンが友に叫んだ
「君のためなら千回でも!」

ハッサンの非業の死後、初めて逃げるのをやめ、勇気を振り絞って危険な祖国から助け出した彼の息子に、アニールが叫んだ
「君のためなら千回でも!」


裏切りを誰かに告白しなかったのが引っかかったのだけど、
でもきっと、謝るとか許すとかではないんだろうなと。
全身全霊で「ありがとう大好き」と叫んでいるような
「君のためなら千回でも!」だと思いました。




ところで話しの筋には関係ないことですが、タリバン政権下のアフガンの描き方は、冷静に情勢を描いているとは思うけれど、それでもややアメリカからの見方になってる気がしないでもない。
でも勉強不足でどこがどうとは言えない‥‥(汗)
以下話しの流れをザザザーッと



場面は、主人公が小説を出版した所から始まる。
初めての小説に感無量になっている時、かつての恩師から電話が入る。
「君はアフガンに戻ってこなければいけない」
そして回想が始まる。


タリバンが政権を掌握する前、まだ平和だったころ。
裕福だけど心弱く卑怯な、ただ物語を書く才能は確かな主人公と、
人間としての器が大きい、素朴で優しい友達である召使。
立場が違うけれど、2人は友として幼少時代を過ごした。

けれど、2人で協力して凧合戦に優勝するという栄誉を得た日。
「君のためなら千回でも」と叫び、
勝利の証である凧を自分のために取ってくるため走った友が
心無い同属に酷い目に合わされているのを見捨てて、主人公は逃げた。
見捨てて逃げたことを隠し、何気ない顔でいつものように振舞う。
けれど、罪悪感の元である友達の顔を見る勇気すらなく、その“元”を絶ってしまう。
濡れ衣を着せて、主人公は友を家から追い出した。

ソ連進行後、主人公はカブールには住んでいられなくなり、父親と危険な逃亡をする。
そのまま十数年が経過し、アメリカで穏やかな平和を満喫する。
パートナーと出会い、小説家になり本も出版した主人公。
けれどその時、かつての恩師に諭され再びタリバン政権下の危険な祖国へ戻る。

純朴だが卑怯な主人公は、あの時裏切った友から、手紙と言う形で変わらぬ友情をもらう。
責める言葉の一つも無く、手紙で自分の幸福を願ってくれた友は、けれどタリバン勢力に殺されてしまっていた。
結局、濡れ衣を着せて追い出したあの時が最後となり、主人公は友に謝れぬまま。
その友の息子は、危険な状況の中に一人取り残されていた。

都合の悪い事、恐ろしい事から逃げ続けていた主人公は、ここで初めて勇気をふるう。

友の忘れ形見を助けるために、必死で救いの手を差し伸べた。
酷い目に合い心を閉ざしている友の息子を、主人公はアメリカに連れ帰る。
心を閉ざしたままの息子だったが、公園へ連れ出した時、アメリカの子供が遊ぶ凧に興味を示した。
主人公は、かつて友と力を合わせて栄誉を得た凧を、友の息子に教える。
息子の前で、父親の技を駆使して凧合戦の勝負を挑んできた挑戦者に勝利してみせる。

紐を切って負かした凧(=勝利の勲章)を拾いに走る時、
今度は、主人公が友の息子に叫んだ。
「君のためなら千回でも!」

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